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   <title>100周年記念事業　-早稲田大学広告研究会-</title>
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   <title>変わる活動、変わらぬ思い。</title>
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   <published>2008-02-24T14:39:08Z</published>
   <updated>2008-02-24T14:40:05Z</updated>
   
   <summary> このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="hana.color4.jpg" src="http://www.waseda-ad.com/100th/hana.color4.jpg" width="250" height="333" />
<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

今回は第82代の広告理論チームチーフを務めていらっしゃった長谷川 華さん(平成７年卒業)にお話を伺いました。長谷川さんは主婦の友社勤務を経て、フリーのライター＆エディターとなり、現在は女性誌やムック・書籍を中心にお仕事をされています。チーム活動、早稲田祭活動のお話からは当時の時代背景をうかがい知ることができ、とても興味深いものでした。</p>

<br>
<p class="midashi">●チーム例会はさながら大学の講義</p>

<p class="member">— よろしくお願いします。まず、当時の活動の中で一番印象に残っているものについてお話をお聞きしたいと思います。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：私は3年のときに理論チームのチーフをしていたから、その１年間の活動が一番印象に残っています。毎例会では広告に関する講義をしていました。例えばA.I.D.M.Aの説明をしたりだとか。前期のうちはそういった基礎的な講義をしていたのだけれど、後期になると内容も濃くなってきて、毎回の準備がとても大変だったのを覚えています。前の年なんかはチーフが2人いるチームがあったりして、そういうのは羨ましいなと思うこともありました。チーム制をはじめ、活動形態も今とはだいぶ違っているのかもね。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="member">— 今のチーム活動はグループワークが主なので意外に思いました。チーフが2人というのも今では想像できないですね。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：そうそう。案の定、その2人はしょっちゅう喧嘩していたわよ。私のチームでは合宿を2回したり飲み会も毎回盛り上がったりと、とても仲が良かったと思う。今とはチーム員の人数も違うからかもしれないけど。 </p><p class="member">—確かに、今は１チーム50人規模ですからまた雰囲気も違うのでしょうね。他に何かチームの話で面白いお話はありますか？</p>
<p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：私のチームじゃないのだけれど、私の一つ上の代の制作チームは、早稲田祭で松下電工の商品の広告作品を制作して、それを展示したりとか、そういった活動もしていました。</p><p class="member">—早稲田祭でチーム活動をしていたのは少し驚きました。当時のチームの様子がうかがい知れました。ただいまお話に出ましたが、続きまして早稲田祭のお話をお聞きしたいと思います。</p>
<p class="midashi">●バブル崩壊後の早稲田祭活動</p>

</p><p class="member">— 早稲田祭ではどのような活動をしていたのですか？</p>
<p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：2年生の時の早稲田祭が強く印象に残っています。当時の早稲田祭では、チーム活動と有志のプロジェクト活動を並列に行っていたのね。私が参加していたプロジェクト活動は、イベントをポラロイド社に協賛していただいて、人間ペインティングという企画をステージで行いました。
</p><p class="member">— 人間ペインティングというのは？</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：ステージに布を張って、全身ペイントされた人が布にペタっと張り付いて模様をつけたのよ。</p><p class="member">— ユニークなイベントですね。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：そのイベントの責任者は当時の渉外幹事で。そういえば、その年はファッションショーのイベントも行ったはず。ベイクルーズなど４つのブランドに衣装をお借りして、スタイルの良い広研の女の子がモデルになったのよ。そして、ステージ上をランウェイに見立ててイベントをしたのよね。</p><p class="member">—ファッションショーのイベントは僕たちも3年前に行いました。当時から広研員の好むものは変わっていないのですね。そして、広研のイベントと言えばステージが欠かせないですよね。現在僕たちは早稲田祭の本部ステージでイベントを行います。当時はどうだったのでしょうか？</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：私たちのときは、WASステージと呼ばれる、広研専用のステージを10号館前に自分たちで組んでいました。当時は文学部キャンパスの記念会堂でミュージシャンを呼んでライブをするUBCという音楽サークルがライバルで、どちらがステージ前に人を集められるか意識し合っていたと思います。</p><p class="member">— そうですか。今もUBCは早稲田祭で活発に活動しています。早稲田祭といえば、最近では企業色の強いイベントが禁止されるようになり、そこで毎年頭を悩ませながら活動しているのですが、当時はどうでしたか？</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：当時の早稲田祭はそういった規制は全然ありませんでした。自由に活動ができる中で、どういった形でクライアントのメッセージを届けるかを絶えず考えていたような気がします。でもそもそも、当時ってバブルがはじけたばかりだったから、協賛についてくれる企業も少なくて。そんな中でも協賛していただいた企業には感謝しないとなりませんよね。</p>

<p class="midashi">●広研で学んだこと</p>

<p class="member">—当時は今とは違う苦労があったんですね。それでは次に当時の行事や飲み会についての様子をお聞きしたいと思います。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：まず、当時は週に１回の全体例会があって、その後に必ず全体飲みをしていました。その他、週に１回チームの例会を行って、そのときはチームで飲みに行っていたのよ。当時は徐々に女の子の会員が増えてきた時代だったから、飲み会の様子もだんだん落ち着いていった、と先輩からは聞かされた記憶があります。</p><p class="member">—例会のシステムも当時とは異なり今ではなかなか難しいので、週に1回の全体飲みっていうのも羨ましいですね。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：飲み会はとてもいいコミュニケーションの場だったから、広研はこれからも飲み会を大切にしたらいいんじゃないのかな。</p><p class="member">— はい、これからも大切にしたいと思います。OB・OGの方々は卒業後さまざまなご活躍をされている方が多いと思いますが、長谷川さんは大学を卒業した後に“広研にいてよかったなぁ”と思うことはありますか？またそれはどんなときでしょうか？</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：なにか特別なスキルや知識として、というのはあんまりないのかもしれない。ただ、広研で出会った仲間って言うのは、損得勘定なしで信用できる関係だなと思います。私にとっての広研は人間関係を学ぶ場であったのかも。</p><p class="member">—確かに、僕にとっても広研で出会った仲間はかけがえのない存在です。</p>
<p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：これからもそういう関係を大切にしていけば、私くらいの歳になってもずーっと付き合っていける気の置けない仲間になっていくと思うので、大事にして欲しいと思います。</p><p class="member">— はい、わかりました。それでは最後に現役会員に向けて何か一言お願いいたします。</p><p class="ob"><span class="name">長谷川さん</span>：広研で得た経験は、何でも自分のこやしになるはずです。月並みだけど、学生時代は限られているから、無駄なく悔いの残らないよう、精一杯頑張って下さい。</p><p class="member">— 精一杯がんばります。本日はお忙しい中、お話いただきありがとうございました。<p class="memo"><br />
</p>
<p class="memo">
インタビューアー　商学部３年　和田広大　２００７年１２月東京都三鷹市にて</p>
]]>
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   <title>「研究ひとすじ命をかけて、行くぞ広告研究会」</title>
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   <published>2008-02-10T07:11:15Z</published>
   <updated>2008-02-23T18:44:59Z</updated>
   
   <summary> このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E3%81%95%E3%82%93.jpg" src="http://www.waseda-ad.com/100th/%E9%A6%AC%E5%A0%B4%E3%81%95%E3%82%93.jpg" width="354" height="266" />

<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

今回は馬場啓一さん（昭和46年卒）にインタビューをさせていただきました。馬場さんは、広告研究会在籍中に幹事長、連盟幹事をされていました。卒業後、日本天然色映画にて広告制作のお仕事をなさり、現在は流通経済大学教授でいらっしゃいます。作家・エッセイストとしても数多くの作品を執筆され、多方面でご活躍されています。</p>

<br>
<p class="midashi">●過渡期を迎えたサークル</p>

<p class="member">— こんにちは。早速ですが、当時の活動について教えてください。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：研究するテーマごとにAチーム、Bチーム、Cチームと分かれて活動していたね。当時の会員数は１～４年で１００人くらいだったよ。それで実際の活動に参加していたのは６０人くらいで、各チーム２０名ずつ、週１くらいで集まっていたかな。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="member">—サークルとして目指したものや目標というのはどのようなものだったのですか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：対外活動をしっかりやって、世の中に認めてもらうという所を目標にしたな。私が幹事長のときに、ちょうど電通の学生広告論文賞が始まった年で、団体部門で優勝したね。その次の代も早稲田の広告研究会が優勝したのかな。当時は向かうところ敵なしって感じだったね。</p><p class="member">— やはり早稲田のサークルの中でも真面目なサークルだったのですね。</p>
<p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：そうだね。サークルの顧問であった小林太三朗先生が当時の日本の広告学の権威ということもあって、他の大学の広告研究会と比べてみてもアカデミックな活動をしていたんじゃないかな。僕が広告研究会に入る前に、２つ年上の先輩達の代がキャンプストアを廃止したらしいんだ。それまでは早稲田の広告研究会もキャンプストアをやっていたんだよ。だけど、その先輩達は、当時「遊び系」といわれていたサークルから、「研究系」という真面目なサークルへと、広告研究会の体質を変えたんだ。それで、大学に入って遊びたい盛りのサークル員が減ったんだよね。そんな時期だったから、僕が幹事長の時に「研究ひとすじ命をかけて行くぞ広告研究会」っていうキャッチコピーを考えたんだ。</p><p class="member">— サークルにとっての過渡期だったわけですね。では研究内容とはどういったものだったのですか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：人がテレビを見る時間は何時間で、その中でCMの放送枠がこのくらいあって、若い人はどのくらい見ていて、年齢によってどう違うか、とかのデータを集めていたんじゃないかな。広告学なんていうのが商学部の中でも確立されたか、されないかぐらいのときだからね。今にして思えば結局は孫引きで書き写すだけだったんだけど、そんなようなことを研究と称してやっていたのかな。広告自体がなかなか計量化できないものだから仕方がないところでもあるんだけどね。</p>
<p class="midashi">●型破りな幹事長</p>

</p><p class="member">— 幹事長をされていたとお伺いしましたが、どのような経緯だったんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：僕は中学・高校時代と歌を歌っていてね、１年生の時は早稲田のグリークラブにも在籍していたんだ。だから1年生のときは広告研究会にあまり行ってなくて、反主流派みたいな感じだったね。２年生になってからは広告研究会で連盟幹事をやってみて、このサークルおもしろいなって思い始めたんだ。それがきっかけで幹事長になろうと思ったね。２年の終わりに選挙があったんだけど、対立候補との一騎打ちだったんだよ。
</p><p class="member">—幹事長選挙が決選投票だったわけですね。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：そうなんだよ。その選挙は５０対５０と票が割れてね、翌週に再選挙を行ったんだ。僕は広告研究会の中でも反主流派だったわけだから、１～３年生からの支持はあんまりなかったんじゃないかな。それでも２つ上の、当時の４年生が僕のことを買ってくれていてね。それで結局、再選挙も接戦で１票差とかで僕が幹事長になったんだ。</p><p class="member">— それでは、馬場さんが幹事長をされていたときの印象深い出来事や活動について教えてください。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：広告研究会の正式な活動として認められなかったんだけど、キャンプストアかな。会員を引き止める意味もあって、TBSラジオと組んでキャンプストアを作ったんだ。さっきも言ったけど、２年前の先輩がキャンプストアを廃止してしまったから、サークルの方針として行わないことになっていたんだけど、いい機会にめぐり合わせたんだよね。</p><p class="member">—どのようにして実行できたのですか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：顧問の小林先生のもとに、江ノ島で大学生のアルバイトが必要だという話が、TBSラジオから来たんだ。それで小林先生が僕に紹介してくれて、活動としてではなく「アルバイト」として行ったんだよ。それまでのキャンプストアはボランティアで行っていたんだけど、それだとサークルの活動になるわけだから、あくまで「アルバイト」としてね。これには、当初は反対していた抵抗勢力のメンバーもみんな集まってきたよ。</p><p class="member">— 夏の江ノ島だと忙しかったのではないですか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：当時、江ノ島は水が汚いとかでお客がいなかったんだよ。だから暇だったね。メンバーが１０人弱で、常時在住で約１ヶ月近く江ノ島の海の家にいたね。その期間ずっと一緒に寝起きを共にするわけだから、やっぱりそこでの仲間意識は生まれたのが良かったかな。宿では、アポロが月面着陸するのをテレビで見て、みんなで興奮したのを覚えているよ。</p>

<p class="midashi">●今と変わらぬ広研行事</p>

<p class="member">— 合宿や飲み会などの雰囲気についてお聞かせください。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：それはあまり変わらないんじゃない？今の大学生と一緒に活動をやっているわけじゃないから分からないけど、それは今と変わらないはず。学生はいつの時代も同じだと思うよ。楽しいことをとことん楽しんでいたよ。</p><p class="member">— よく飲みにいったりしていたんですか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：高田馬場に一軒、広研がひいきにしている飲み屋ができてね。一時期みんなでよく行っていたんだけど、僕達が行かなくなったら急に潰れちゃったよ。そのくらい、毎日広研のたまり場になっていたね。「花鳥」っていうお店だったかな。部室には人がいなくても、その飲み屋にはほぼ毎日誰かしらいたよ。</p><p class="member">— 
合宿ではどんなことをしていましたか。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：年に一度だけ夏に行ってたね。チームの結束はあって、全体の中でもうまく機能していたんだ。だから今みたいにチームごとの合宿というのはなくて、夏の合宿は広研みんなで行ったな。それと幹事だけの合宿っていうのもあったよ。選挙を終えて幹事がみんな出揃って、テスト明けの２月とか３月に早稲田の合宿所とか、冬の軽井沢でその年の指導方針みたいなのを話し合う合宿だったな。</p><p class="member">— 学生時代を一緒に過ごした方々とは今でも交流があるのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：そうだね。僕の場合は二つ年上の先輩にかわいがってもらっていたから、今でもその先輩に直接会いに行ったりもするしね。去年も時間があったから奈良まで遊びに行ったりしたよ。今になって思うと、彼らから与えられた影響は大きいものだったなと思うよ。</p><p class="member">— 最後になりますが、百周年を迎える広告研究会にメッセージをお願いします。</p><p class="ob"><span class="name">馬場さん</span>：僕は広告研究会在籍中に先輩からいろんなものをもらったよ。卒業して社会人になってからもそうだったし。もらってばかりじゃダメなんだよな。「俺は良くして貰ったから、良くしてあげたい」っていう想いがないとね。百年近くも続いてるサークルなんだから、そういった繋がりでこそ成り立っているんじゃないかな。だからサークル内で先輩、後輩の関係も大事だけど、OBも現役の面倒をもっと見てあげられたらいいなと思う。それに同窓であることの結びつきって大事だと思うから、毎年OB会は楽しみにしているよ。僕は卒業してから早稲田って聞くと、心のどこかで「ビビッ」とくるものがあるんだ。いま自分の所属する大学やサークルを存分に楽しんで、卒業してOBになった時に自分の母校、サークルを愛せたら素晴らしいと思うよ。</p><p class="member">— 本日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。<p class="memo"><br />
</p>
<p class="memo">
インタビューアー　商学部３年　鎌野洋行　２００８年１月千葉県松戸市　流通経済大学にて</p>]]>
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   <title>OB会レポート</title>
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   <published>2008-01-03T03:51:10Z</published>
   <updated>2008-01-03T03:54:56Z</updated>
   
   <summary> 早稲田大学広告研究会OB・OG会を本年11月24日に開催しました。一次会では、...</summary>
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      <![CDATA[<p>


早稲田大学広告研究会OB・OG会を本年11月24日に開催しました。一次会では、広告研究会百周年記念事業のロゴコンペの発表を行いました。立て看板、映像を制作し、例年に増してより一段と充実したOB・OG会を開催することができました。二次会、三次会でも、多くの先輩方にお越し頂き、広告研究会にまつわる大学生活の思い出話や、活動へのアドバイスをいただきました。現役会員とOB・OGの皆様が一緒になって校歌と紺碧の空を斉唱し、その後朝まで語り合えたことは、たいへん貴重な経験になりました。今回のお話をもとに、今後もより一層活動の充実をはかっていきたいと考えております。

来年も、より充実したOB・OG会の開催を目指しますので、OB・OGの皆様にはさらに現役会員の活動に目を向けていただければ幸いです。どうぞよろしくお願い致します。


第９５代早稲田大学広告研究会１年　東海林若菜


</p>
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   <title>早広会レポート</title>
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   <published>2008-01-03T03:48:26Z</published>
   <updated>2008-01-24T00:41:07Z</updated>
   
   <summary> 昭和２９年から４０年卒業のＯＢ・ＯＧの方々が毎年集まり、お互いの近況報告などを...</summary>
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      <![CDATA[<p>

昭和２９年から４０年卒業のＯＢ・ＯＧの方々が毎年集まり、お互いの近況報告などを行っている早広会。今年は、以前インタビューさせていただいた篠田憲次先輩（昭和３７年卒）にお願いし、現役会員から林範和（政経４年）と澤邊陽介（一文３年）の２名が参加させていただきました。
早広会のメンバーには現内閣総理大臣の福田康夫先輩（昭和３４年卒）がいらっしゃるということで、当時の写真や福田先輩が書かれた論文が掲載されているＷＡＳニュースといった資料を見ながら、当時の活動のエピソードなどのお話で盛り上がりました。また、現役会員からは今年度の広告研究会の活動についての報告や、広告研究会創立百周年にむけての意気込みを話させていただきました。楽しい時間はあっという間に過ぎ、最後はもちろん参加者全員で早稲田大学校歌を斉唱しました。
今回のような機会をきっかけに、これからもますますＯＢ・ＯＧの方々と現役会員とのつながりが強くなればと考えております。</p><br>

第９５代早稲田大学広告研究会３年　澤邊陽介

</p>
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   <title>銭湯とアート</title>
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   <published>2007-12-02T14:39:18Z</published>
   <updated>2007-12-05T06:51:59Z</updated>
   
   <summary>このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史...</summary>
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      <![CDATA[<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第5回目は1986年ご卒業の浅利星司さん、楠亮さん、志太正次郎さん、中井川功さん、西垣雅代さん、根本香子さん、能勢理子さん、松丸隆治さんにお集まりいただいて、座談会形式でお話をお伺いしました。その中でも、一番印象に残っている活動についてのお話を抜粋して掲載させていただきます。</p>

<br>
<p class="member">— よろしくお願いします。当時の活動の中で一番印象に残っている活動はなんですか。</p><p class="ob"><span class="name">西垣さん</span>：チーム活動かな。そもそも当時の広告研究会の中でも、中井川くんをチーフとして始めた私たちＳＰチームは相当異端だったかもしれないね。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="ob"><span class="name">松丸さん</span>：荻窪の銭湯「コミュニティ銭湯・荻野湯」を会場に７日間行なったＳＯＮＹの生活防水ウォークマンのＳＰイベントは、今でもとても記憶に焼きついている！</p><p class="ob"><span class="name">志太さん</span>：ＳＰイベントのネタ探しをしているとき、当時ビジュアルアーティストの作品を発表する場として、東京オペレーションセンターっていうプロダクションが発行していた「ＳＴＵＦＦ」という雑誌を中井川と能勢が見つけてきて、その雑誌の編集長にみんなで会いに行ったのが発端だったんだよな。</p><p class="ob"><span class="name">能勢さん</span>：そう、ちょうど編集長もアーティストの実際の作品を発表する場を探している時で、私たちのイベントの企画に快く乗ってくれたんだよ。当時は芸大の院生だった日比野克彦さんが、パルコのグラフィックアート展の第一回目のグランプリを受賞して、学生アーティストが注目され始めていた頃。「ＳＴＵＦＦ」では、そんな芸大の学生や若手アーティストの作品を誌面で数多く紹介していたの。</p><p class="ob"><span class="name">松丸さん</span>：アートとウォークマン、それを銭湯と結びつけるなんて、今考えてもなかなか思いつかない発想だったな。
</p><p class="ob"><span class="name">中井川さん</span>：会場となった荻野湯のご主人も乗りが良くて、僕らの無理難題をよく受けとめてくれたよね。銭湯の壁面といえば「富士山」の絵なんだけど、そこに宝島などの当時のサブカルを代表するイラストレーター＆漫画家で活躍していたアーティストの奥平イラさんに、思いっきりポップな巨象の絵を描いてもらった。それまでの銭湯のイメージが、すっかり変わってしまい、それは、それは、感動的でした（笑）。</p><p class="ob"><span class="name">楠さん</span>：肝心のＳＯＮＹ生活防水ウォークマンは、お客さんにサンプリングとして番台からレンタルする仕組みだった。お客さんはお風呂に入りながらウォークマンで音楽を楽しんでもらえるという訳。また、脱衣場や銭湯の二階のコミュニティスペースを使って、ウォークマンをテーマに「ＳＴＵＦＦ」のアーティストの作品展を開催したりして、集客ねらいのイベントを連日展開したよね。</p>
<p class="member">— 多くの方の協力があったわけですね。実際に集客はどうだったんですか。</p><p class="ob"><span class="name">浅利さん</span>：スポンサーをしていただいた、ＳＯＮＹの先輩には申し訳なかったけど、今にして思えば、広告のＳＰイベントとしてはダメダメだった。</p><p class="ob"><span class="name">根本さん</span>：それでもパブリシティ効果を発揮できて、「写楽」、「朝日グラフ」なんていう今はなき一流誌や、ラジオの取材も受けたし、朝日新聞の本紙のコラムにも載ったんだよね。もしこれが、コンテンポラリーアートの展覧会だったなら、歴史的なイベントだったかもね（笑）。</p><p class="ob"><span class="name">西垣さん</span>：参加してくれたアーティストたちの中には、巨匠と呼ばれるようになった方もいらっしゃるしね。イベントの打ち上げで彼らが、スタッフ一人ひとりの似顔絵をＴシャツに描いてくれたんだけど、今でも貴重な宝物であったりするの。</p>
<p class="ob"><span class="name">中井川さん</span>：いずれにしろ、あのような破天荒なイベントが展開できたのも、理解ある広研の先輩たちがいたおかげかな。学生のつたない発想に、少しでも企業として可能性を見出してくれたわけだからね。これからも広研には変に小さくならず、大胆な活動を続けていって欲しいと思います。</p><p class="member">— ありがとうございます。頑張ります。本日は貴重なお話をありがとうございました。</p>

<p class="memo">
インタビューアー　百周年記念事業委員会　和田広大
2007年9月・銀座にて</p>]]>
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   <title>100周年記念ロゴ</title>
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   <published>2007-11-24T03:47:40Z</published>
   <updated>2007-11-26T14:43:13Z</updated>
   
   <summary> ●百周年記念ロゴ発表！ 以前から告知しておりました早稲田大学広告研究会百周年記...</summary>
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<br>
<p class="midashi">●百周年記念ロゴ発表！</p>

<p>以前から告知しておりました早稲田大学広告研究会百周年記念ロゴが決定し、11月24日のOB･OG会にて発表されました。現役会員、OB･OGの皆様から総勢32作品の応募があり、その中から投票によって上のロゴに決定しました。
今後も2013年1月に迎える早稲田大学広告研究会の百周年記念事業に向かい、広告研究会会員一同、百周年記念委員会を中心に準備をしてまいりますのでよろしくお願いいたします。</p>
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   <title>復活前最後の早稲田祭と早稲田祭がなくなった後の広告研究会</title>
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   <published>2007-11-19T13:36:34Z</published>
   <updated>2008-10-02T15:15:18Z</updated>
   
   <summary> このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="小林さん.jpg" src="http://www.waseda-ad.com/100th/小林さん.jpg" width="283" height="250" />

<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第4回目は小林哲男さん（98年卒）です。小林さんは、85代副幹事長、84代庶務幹事をされていました。卒業後、アップルコンピュータ株式会社にて、オンラインストア関連のお仕事をなさり、現在は某検索サービス企業にてＥＣ、ネット通販業界への広告提案をなさっています。
復活前の最後の早稲田祭を経験された小林さんに、当時の広告研究会の活動などについてお聞きしたいと思います。</p>

<br>
<p class="midashi">●復活前最後の早稲田祭</p>

<p class="member">— こんにちは。小林さんの代は復活前の早稲田祭を楽しんだ最後の代とお聞きしましたが、当時の早稲田祭での活動を教えてください。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：そう。早稲田祭は私が3年生の時に無くなったから、私達の代はぎりぎり楽しんだ世代だね。それで、早稲田祭では10号館前でステージイベントをしていたよ。日清どんべいやいすゞの４ＷＤの車に協賛に付いてもらって、セールスプロモーションのイベントをしてたね。あと、ニッカ・ウィスキーの広告とかを作って展示会をしていたな。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="member">—現在は会員全員で早稲田祭に取り組んでいるのですが、当時も現在のように会員全員で早稲田祭に取り組んでいたのですか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：そんなことはないよ。早稲田祭でステージイベントをやる理論企画系のチームと、ラジオやポスター制作をして教室で広告展を開催する制作系のチームがあったんだ。私は、制作系のチームに所属していたんだけど、イベントもやりたくて、企画系のプロジェクトに入り浸って手伝いをしていたんだけどね。当時は早稲田祭しかイベントはやっていなかったから企画系のチームは、7月くらいから準備をしていて、学祭が終わったら燃え尽きて灰になるって感じだったよ（笑）。</p><p class="member">— そんな燃え尽きて灰になってしまうほどの早稲田祭の打ち上げはどんな様子だったんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：2年の早稲田祭の打ち上げは、一番印象に残っているよ。早稲田祭が終わって、大変だったこと全てから解放されて、みんなが心優しくなれるんだよね。お互いを褒め称えながらほぼ全員がビール瓶や一升瓶を持って、飲み会の間終始一気飲みをしているっていう状態が最高だったね。</p><p class="member">— では、一番楽しかった活動はやっぱり早稲田祭ですか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：そうだね。でも、2年生の時の早稲田祭じゃなくて、１年生のときの早稲田祭かな。面倒くさいことや大変なことは全て先輩がやってくれて、自分の好きな事だけに打ち込める環境がよかったよ。私は立て看を塗るのが大好きだったから、凄くこだわって作っていたよ。看板とかステージを完璧に作らなきゃ気がすまなくて、１ミリ単位まで測って作っていたんだよ（笑）。広告研究会の塗り看は芸術の域に達していると思うね。</p>
<p class="midashi">●しらけムードになったサークル</p>

</p><p class="member">— 話は変わりますが、現役時代一番苦労したことはなんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：サークル内での人間関係かな。私達の代とその下の代なんかは早稲田祭がなくなってしまって、サークル全体がどんどんしらけムードになっていった時期なんだ。
そして、上下関係が厳しかったせいか「何で先輩に怒られて、コキ使われながら労働を強いられなきゃいけないんだ！」って会員が広告研究会からどんどん離れていったんだよね。これは世間一般でも同じで、ちょっと前の時代まではサークルに入っていない人はほとんどいなくて、サークルに入っていないと「学生時代を楽しんでいないかわいそうな人」くらいの見方をされていたんだ。だけど、私達くらいの世代からサークルに依存せずに、資格を取ったり学生ビジネスを立ち上げたりする人たちが増えてきて、サークルに対してのロイヤリティーがなくなってきた時代だったんだよね。
</p><p class="member">—世間でも、広告研究会でも、サークルとの関わり方が変化している時期に幹事をされていたんですね。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：そう。でも、そんな中で、私は自分の尊敬していた先輩のカルチャーをそのまま引き継いで、もっとサークルに力を注げる広告研究会でありたいと思ったんだよね。でも、それに対する反発が強かったから大変だったんだ。新幹事会合宿では、1年目は「この終わりかけたサークルをどう立て直したらいいか」という熱い議論がなされていたんだけど、2年目は「どうでもいいじゃん」という雰囲気の中、残った少ないメンバーで何とか運営することしかできなかったというのを覚えているよ。</p><p class="member">— それで、その後はどうなったのですか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：結局紆余曲折を経て、私を慕ってくれる後輩が残ってくれて、その思いは引き継ぐことができたんだよね。でも、自分がサークルのカルチャーを引き継いだと思っていても、１０年経つと全然違うサークルになっているからびっくりするよね。（笑）</p>

<p class="midashi">●８５代当時の広研行事</p>

<p class="member">— 当時の行事はどんなものがあったんですか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：庶務幹事をやっていたから、行事はよく覚えているよ。4月から順を追って話していくと、新歓コンパは栄通りの「双葉」「瑠」やBig Box方面の「赤とんぼ」「俺んち」が定番かな。今はもうほとんど存在しない店ばかりだけど。新歓合宿は河口湖か山中湖に行くのが定番という感じで、新歓合宿まではどんなに傍若無人な1年生がいても歓迎すべし、という決まりがあったんだ。そして新歓合宿で初めて説教してもいい、というルールだったんだよね。私も当時の一年生に、新歓合宿までにはかなり怒り心頭だったんだけど我慢していて、当日説教したときはもう何を言ってるのか自分でも訳わかんなくなってたから、1年生は逆にポカーンとしてたのを覚えているよ。早慶戦前日の男飲みでは、女の子への告白の優先権を争って飲み対決をしていたよ。夏合宿は千葉の外房の茂原とか白子あたり。冬合宿は、早稲田祭が終わって人がどんどんいなくなる時期だから、長野にゆっくり温泉にでも入りに行こうって流れだったね。</p><p class="member">— 行事の場所までこんなにスラスラ言えるなんて、さすが元庶務幹事ですね。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：そうだね。合宿とか行事関連のセッティングは全てやっていたからね。でも、庶務幹事最後の日に、みんなから「あんた庶務で賞」をもらったよ。庶務なのにお酒好きでかまわず飲んで潰れてたから、「あんた、庶務でしょう！！」って意味で。（笑）庶務幹事は二人いて、もう一人の庶務幹事が女の子で肝っ玉母さんみたいなしっかりした子だったから、結構任せていたんだよ。盛り上げ役とケア役で男女の庶務ペアはベストコンビだったと思うよ。</p><p class="member">— 
当時の経験で今の生活につながっているものはありますか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：活動とは関係ないんだけど、広研バイト（注１）で日雇いのアルバイトをたくさんやったことが、今でもすごい為になっているよ。大学時代に色んな仕事を経験できたから、今どこの業界にいってもその業界知識をもって話せるんだよ。あっちこっちのバイトで色んな現場を知ったことで、世の中の仕組みを大学時代ですべて学べていた気がするよ。この前なんて、クライアントの建設会社の人に建築業界出身者だと間違われたくらい。建築現場に行こうが、マスコミに行こうが、どこの業界にいっても、その業界出身者だと思われるくらい基礎知識をもって普通に話ができるんだよね。その時に、大学時代の経験が役立っているなと思うよ（笑）あと、人脈に困ったことはないね。普段は特に話さないけど、どこに行っても広告研究会のOBがいるから、面白いよ。</p>

<p class="midashi">●100周年を迎えるサークルへ向けて</p>

</p><p class="member">— 広告研究会は１００周年を迎えるわけですが、広告研究会にどんな思いをもっていますか。</p>
<p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：広告研究会は時代に合わせて、変わっていく存在だと思う。変化の激しい世の中で、その時代に合わせてうまく変化してきたサークルだよね。だからこそ１００年続いてこられたのだと思うし、これからも時代に合わせて現役会員が好きな事をするサークルであっていいと思うよ。個人的には、「広告研究会」という存在は自分のアイデンティティーの一つだし、広告研究会でやったイベントで人生が変わったと思っているよ。</p><p class="member">— 「イベントで人生が変わった」というのはどういうことですか。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：２年生の時にアップルの協賛でイベントをやった時に、アップルが広研にパソコンを貸してくれたんだよね。それまでパソコンになんて全然興味なかったんだけど、アップルのマックがかっこよかったからパソコンに興味を持ったんだよね。それからアップルに対してこんないいパソコンをつくって、こんなクリエイティブな仕事が出来る会社だっていいイメージをもって、ここで働きたいと思ったんだよね。結局、学祭で協賛をしてくれた企業が好きになって就職してしまったってわけ。何が縁で人生つながるか分からないね。協賛を取ってきてくれた渉外幹事には今でも感謝しているし、今でも頭があがらないよ。（笑）</p><p class="member">— これからの広告研究会へ一言お願いします。</p><p class="ob"><span class="name">小林さん</span>：もっとプレゼンスを発揮してほしいね。こんなにネットが普及している中で、今、早稲田大学広告研究会の存在は埋没していると思うんだよね。広研には世の中をもっと動かす存在になってほしい。学生だからできないことははっきりとしていると思うんだけど、学生でしかできないことはあるばずだから「ここまで学生やっちゃったの？」ってことを、もっと色々実験してやってほしいと思う。広告研究会は時代に合わせて自由にやりたいことをやれる存在なんだから、そのなかで最大限の公約数を求めてみんなが熱をもって最大限動けばいいと思うんだよ。後輩にはがんばってほしいです。応援しています！</p><p class="member">— 小林さん、ありがとうございました。<p class="memo"><br />
</p>
<p class="memo">(注1)　 広告研究会では昔から企業と関わる活動が多いため、そのつながりで企業からお願いを受けることが多いアルバイト。<br />
</p>
<p class="memo">
インタビューアー　百周年記念事業委員会副委員長　佐藤芳美　
2007年9月・早稲田の居酒屋「志乃ぶ」にて（小林さんの学生時代の思い出の場所）</p>]]>
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   <title>花火大会レポート</title>
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   <published>2007-09-02T09:18:07Z</published>
   <updated>2007-10-01T09:25:40Z</updated>
   
   <summary>夏の風物詩といえば花火。今年も広告研究会では8月11日(土)に行われた東京湾大華...</summary>
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      <![CDATA[<p>夏の風物詩といえば花火。今年も広告研究会では8月11日(土)に行われた東京湾大華火大会をたっぷりと堪能しました。毎年恒例の広研行事となっておりますが、今年も多数のOB･OGの諸先輩方と一緒に、お酒を片手に東京湾の夜空に咲いた綺麗な花火を満喫しました。こちらがその模様です。今後も秋に行われますOB会等でお会いできることを楽しみにしております。

</p>
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      <![CDATA[<a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw15.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw15.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false" class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw1-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a><a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw22.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw22.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw2-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a><a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw32.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw32.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw3-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a><a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw42.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw42.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw4-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a><a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw5.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw5.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw5-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a><a href="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw6.html" onclick="window.open('http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw6.html','popup','width=1000,height=750,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"class="left215"><img src="http://www.waseda-ad.com/100th/img/fw6-thumb.jpg" width="215" height="161" alt="" /></a>






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   <title>約40年前の活動について ～キャンプストアやチーム活動～ （昭和33年卒・篠田さん）</title>
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   <published>2007-07-20T06:13:23Z</published>
   <updated>2007-11-06T03:42:18Z</updated>
   
   <summary>このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.waseda-ad.com/100th/">
      <![CDATA[<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第二回目は篠田賢治さん（昭和33年卒）です。篠田さんは昭和29年～33年まで広告研究会に在籍し、当時は連盟幹事（注１）やメディアグループで活躍していました。現在は昭和33年～40年卒業までのOB、OGの皆様の同窓会である早広会（そうこうかい）という会の幹事をなさっています。

それでは今回は篠田さんに当時のチーム活動やキャンプストア（海の家）のお話、活動の様子などを聞いていきたいと思います。</p>

<p class="midashi">●約40年前のチーム活動について</p>

<p class="member">— こんにちは、今回は約40年前の広告研究会の活動を中心にお話を聞いていきたいと思います。現在はチーム活動を活動の柱としていて広告戦略、映像媒体、グラフィック媒体、WEB媒体の4チームがあります。篠田さんが広告研究会に在籍されていたときはどのようなチームがありましたか。</p><p class="ob"><span class="name">篠田さん</span>：当時はメディアグループ、マーケティンググループ、商業デザイングループ、コピーグループの4チームがあったかな。みんなそれぞれに所属しててなんか活動をやろうよといっていたんだけど、実際に形の上で出てくる活動をやっていたのは商業デザインとマーケティンググループぐらいで後はなんとなくみんな遊んでたよ。あと、商業デザインやってるのは広研の他にも商業美術サークルって言うのがあってそっちのほうがさかんだったかな。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="member">－各チームはどのような活動をされていましたか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>商業デザインは早稲田祭のパンフレットを作ったり、キャンプストアのメニューを作ったりそういうもののレイアウトデザインをしていたよ。私はメディアグループで、商業放送が始まって10年たったかたってない時代だったからテレビやラジオの今後の勉強をしていたよ。マーケティンググループはビールのイメージ調査などをしていて、コピーグループはキャッチフレーズコピーをつくっていたよ。
でも、今みたいに朝日広告賞のようなそういうコンクールなどはなかったから、作品として表現するところまではいってなかったかな。</p>

<p class="member">－マーケティンググループやメディアグループの研究成果はどのように報告してたのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>ビールのイメージ調査みたいに東広連（注２）が出している機関紙にのせて報告しているものもあるけど、特に早稲田の広告研究会として出していたものはないよ。ただ研究内容をサークルでまとめたものは、私は持っていないけどあるかもね。</p>
<p class="member">－グループのチーフはどうやって決めていたのですか。今は新幹事会合宿というのが2月に2泊3日であって、チームのチーフになりたい人がプレゼンをして全員の承認を得てチームを立ち上げることが出来る制度があるのですが、当時のチームを作るときにこのような制度はあったのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>ないないない。当時はなかったよ。当時のチーフは3年生の中で2年生を指名して決めていたよ。幹事長も選挙で決めたりはしていなかったよ。</p>

<p class="midashi">●キャンプストア</p>

<p class="member">－チーム活動以外に当時の活動の中心は何だったのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>活動の中心は早稲田祭と夏に行なうキャンプストアが中心だったかな。キャンプストアはこれが楽しみで3年間やっていた人もいたぐらい楽しい活動だったよ。あとは、早稲田祭は一年の活動の集大成で行なっていて、それが終わったら活動終了で合宿や旅行にみんなで行っていたよ。</p>
<p class="member">－篠田さんが広告研究会で一番強烈だった思い出は何ですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>それは2年生のときのキャンプストアかな。1年生は新人ではっきりいってこきつかわれる、2年生は中心になるけど責任はない、3年生は店長、会計とあって責任が重かった。だから2年生のときが一番気楽で楽しかったよ。2年生の時は一番楽しかったのは気が楽っていうのもあるけど、毎晩砂浜のほうで営業の一環でキャンプファイヤーをして、町の若い高校生や泊りがけで来ている女子大生と一緒にフォークダンスを毎日やっていたことがあったからかな。楽しかったけど、毎年、砂浜の葦簀張の海の家と、コンクリートの岩場に2つお店を建てていたから大変だったな。</p>
<p class="member">－キャンプストアは大学生がやっているということもあって、学生のお客さんが多かったのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>普通のお客さんも来るけどやっぱり学生が多かったね。お客さんは安いと思ってくるのだけれど、キャンプストアだけ安くしちゃうと周りの店に怒られちゃうから実際は他のお店と同じような値段だったよ。あと、学生がやっているって興味本位でくるお客さんなどはいたよ。後、3年の時に、立教女学院の女の子たちがひと夏団体で近くの別荘にいて毎晩のようにお客さんできていたのをよく覚えているよ。</p>

<p class="midashi">●当時の活動の様子</p>

<p class="member">－ではつづいて、当時の広告研究会の様子を具体的に聞いていきたいと思います。まず始めに、部室に過去の資料として早稲田広告が残っているのですが、篠田さんの時代には早稲田広告はありましたか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>うーん、なかったね。でもWAS（ヴァス）ニュースはあったよ。今のWAS通信みたいなもので、これを年1～2回出していたと思うよ。でも、今みたいに立派なのではなくて、藁半紙に謄写版刷りで作っていたよ。謄写版刷りっていうのは、蝋を塗った紙の上に鉄筆というので文字を書いて蝋をけずって、それを版画のようにインクをのせて刷っていくと蝋をはがしたところだけ文字になって印刷されるものだよ。だから活字ではなくて手書きの印刷。活版印刷はお金がかかったからね。こうやって作ったWASニュースに早稲田祭参加の作品などをまとめて会員や先輩にくばっていたと思うよ。でも200～300枚くらい作っちゃうと蝋がとけちゃって作れなくなっちゃうから、そんなに沢山は作ってなかったかな。</p>
<p class="member">－続いて広告研究会についてお聞きしたいのですが、現在は会員数が約300人いるのですが、当時の会員はどのくらいいたのですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>全部では何人いたかは覚えてないけど、新入生は40～50人はいたのじゃないかな。でも、1～2年目で1/3ぐらいやめちゃっていたね。覚えてないというのも、当時の部室はドイツ文学研究会と共同利用で細長い三畳間だったから、部室の中では集まって話すのは無理だし、当時は教室も借りられなかったから学生会館の１階か2階のスペースで10～20人集まって話すのが関の山だったよ。だから会員全員が集まるのは無理で何人いたかっていうのはわかんなかったな。</p>

<p class="member">－では最後に、篠田さんの広告研究会についての思いを聞かせていただきたいのですが、広告研究会に入っていて一番よかったことはなんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">篠田さん：</span>早広会みたいに今でも会う仲間ができたことかな。早広会は、今は亡くなってしまった久米さんという方が自分の2年先輩と後輩に声をかけて月に一回でも酒でも飲んで話せる場をつくろうやといって作ったんだよ。一番初めは久米さんの会社の会議室を開放して集まっていたんだけど、月に一回は大変だってことで、年二回、暑気払いと忘年会であつまろうってことになって。それから14～15年続いているよ。
今度、早広会に来て百周年と今の活動の紹介をしてよ。</p><p class="member">－こちらこそよろしくお願いします。本日は、ありがとうございました。</p><p class="memo">(注1)　 連盟幹事は東広連（注2参照）への出席などのように他大学広告研究会との担当窓口の幹事。<br />
(注2)　東広連は正式名称「東京学生広告研究団体連盟」と言い、昭和３０年に「１つの大学だけではできない、もっと大規模で面白い活動をしたい。」という意思のもと創立された東京近郊の大学の広告研究会の連盟団体です。<br />
</p>
<p class="memo">
インタビューアー　百周年記念事業委員会委員長　林範和　
2007年7月・学生会館にて</p>]]>
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   <title>早稲田祭復活前、復活後の広告研究会</title>
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   <published>2007-07-20T02:49:30Z</published>
   <updated>2007-11-19T15:28:29Z</updated>
   
   <summary> このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴...</summary>
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<p class="desc">このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第一回目は熱田卓也さん（04年卒）です。熱田さんは、９０代の会計幹事、８９代の庶務幹事をされていました。熱田さんの代は、現役時代に、早稲田祭復活前と復活後を経験するという貴重な体験をされている代です。

それでは、今回は熱田さんに早稲田祭復活前、復活後の広告研究会のイベントのお話と活動の様子などをお聞きしたいと思います。</p>

<br>
<p class="midashi">●早稲田祭復活前の広告研究会のイベント</p>

<p class="member">— こんにちは。今回は熱田さんが、早稲田祭の復活前、そして復活後を経験されている代ということで、当時の広告研究会のイベント活動の変遷をお伺いしたいと思います。早稲田祭復活前はどんな活動をされていたんですか。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：ちょうどウチの代が、３年の時に早稲田祭が復活したんだ。だから、２年の時までは、早稲田祭がなかったんだけど、毎年イベントはやっていたよ。１年の時は、早稲田祭したくスタッフ（注１）という早稲田祭の復活を望む団体主催の「わせだまつり」という現在の早稲田祭の前身となるお祭りがあったよ。そこで、広告研究会は「Waseyan」というミスコンテストのようなイベントや、「Dive to Advertising」というクリエイターを呼んでの講演会及び、広告コンクールのようなものを主催していたよ。</p>]]>
      <![CDATA[<p class="member">—２年生の時も「わせだまつり」のようなお祭りはあったんですか。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：あったよ。２年の時は、ちょうど、新しい学生会館が建てられた時期で、学生部の主催で新学生会館の?落としイベントとして、早稲田キャンパスと戸山キャンパスを使って、「Waseda Expo」というお祭りみたいなものをやっていたね。</p><p class="member">— 「Waseda Expo」で広告研究会はどんなイベントをやっていたんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：「Waseda Expo」では、１０号館前のステージにステージカーを出して「YOU THE ROCK」
のライブと「BUT」っていう映像コンテストをやっていたよ。イベントは毎年、やる前とかは広告の実践という大義名分はあるんだけど、実際やっている最中とかはみんな意識してなかったんじゃないかな。（笑）でも、小さい額だけど、広告研究会だし、協賛は取ろうとしていたよ。</p><p class="member">— そして、次の年に早稲田祭が復活したんですね。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：そう、早稲田祭が復活したのは３年の会計幹事の時で、私は早稲田祭運営スタッフもやっていたんだ。前年の「Waseda Expo」からの流れで、早稲田の比較的大きなサークルのコアメンバーが中心として早稲田祭の運営団体を発足したんだ。でも、早稲田祭復活初年度と、次の年は、運営スタッフ自体に歴史がなく、人材がいなかったから、協力団体から運営スタッフをださなきゃいけないルールだったんだよ。それで私が、広告研究会からの派遣として運営スタッフに所属していたってわけ。でも2004年からは、運営スタッフ自体に後継者が育ったから、その制度はもうなくなったんだけどね。</p><p class="member">— 早稲田祭の復活には色んな人の協力や想いがあったんですね。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：そう。早稲田祭の撤収も全て終わった後の打ち上げは今でも印象に残っているよ。早稲田祭が出来た喜びと達成感で、その時飲んだお酒は、今まで生きてきた中で一番おいしいお酒だったよ。</p>

<p class="midashi">●変わらない広研行事</p>

</p><p class="member">— 早稲田祭でのイベント以外では、どんな活動をなさってたんですか。</p>
<p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：チーム活動だね。媒体ごとにチームが分かれていて、ラジオ、印刷媒体、映像、心理の４つだったかな。みんなそれぞれ頑張って活動していたよ。あと、私は、庶務幹事だったからかもしれないけど、特に行事ごとに力を入れていたよ。
</p><p class="member">—どのような行事があったのですか。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：今とあんまり変わらないと思うよ。夏合宿も早慶戦も、百ハイ（注２）参加もしていたよ。今もやっていると思うけど、早慶戦の前日からの神宮球場の前で並んで一番を獲得することと、百ハイの受申し込み日の何日も前から並んで、ゼッケン1番を獲得することも庶務幹事のミッションだったんだ。勿論、両方とも一番を獲得したよ。</p><p class="member">— 昔から一番が好きなんですね。（笑）</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：そうそう。（笑）競争がすきなのかもしれないね。早慶戦の前日の男飲みでは、好きな女の子をめぐって早飲みで次の日のお弁当争いをしたりしていたしね。あと、新歓合宿では、2年生のいい男を投票で決める２男レースをやったりしていたよ。</p><p class="member">— 行事の様子は現在とほとんど変わらないですね。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：今と違う行事といえば、新しい学生会館への部室の引越しかな。ちょうど、自分が庶務の時に部室の引越しをしなければいけなくて、庶務幹事=引越幹事という変な図式を作られたんだよ。「広研一週間」という行事週間があって、引越し（8月6～7日）＋夏合宿（8月8日～10日）＋花火大会並び（8月10日）＋花火大会当日（8月11日）というスケジュールで大忙しだったよ。</p>

<p class="midashi">●自ら「変える」原動力になることを学ぶことができたサークル</p>

<p class="member">— 広告研究会での経験が、今の生活につながっていることがあれば教えてください。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：自分が「当事者」としての意識を持って自ら「変える」原動力になることが、困難な状況を打破するのに一番大事なことなんだということを学べたことかな。広告研究会の活動を３年間やっていて思ったことなんだけど、サークルとかって必ず温度差があるんだよね。大きなサークルだから人によってモチベーションに大きな差があるし、何かにつけて批判的な意見を言う人間も多々いるんだよ。そんな状況の中で、外から意見を述べるだけでは何も変わらないということを感じたんだよね。だからこそ、自分が「当事者」としての意識を持って自ら「変える」原動力になろうという姿勢が身についたんだと思う。それが今の僕の信念になっているし、今の仕事に対する姿勢のもとにもなっているよ。</p><p class="member">— では、最後に、今後の広告研究会へのメッセージがあれば、お願いします。</p><p class="ob"><span class="name">熱田さん</span>：大学時代の4年間はこれからの人生の原点になるものだと思います。大学時代に「これをやった」と胸を誇れるようないい経験ができるサークルであってほしいです。</p><p class="member">— 
熱田さん、ありがとうございました。<p class="memo">【参考資料】●広告研究会各代の早稲田祭への取り組みについて<br />
84代（1996年）…大学主催の最後の早稲田祭<br />
85代（1997年）…早稲田祭が中止<br />
86代（1998年）…下田で夏にビーチバレー大会運営<br />
87代 （1999年）…代々木付近でイベントチーム主体のPower Of College主催<br />
88代（2000年）…「わせだまつり」（注1）にて「Waseyan」、「Dive to Advertising」主催<br />
89代（2001年）…「Waseda Expo」(注3)にて「YOU THE ROCK」のライブと映像コンテスト「BUT」<br />
90代（2002年）…天職を見つけよう（注4)、早稲田祭2002（注5)<br />
</p>
<p class="memo">(注1)　 早稲田祭が中止になってから学生部に対して早稲田祭復活を働きかけていた団体。2000年設立。初代代表が広研86、87代幹事長の池嶋さん。なお早稲田祭2002が行われることが決定し存在意義が無くなったことから同年発展的解消。<br />
(注2)　早稲田精神高揚会主催の「本庄～早稲田１００キロハイク」の略。本庄～早稲田まで2日かけて歩くイベント。1962年より続いている行事で、現在広告研究会では100キロハイク参加が恒例行事となっている。<br />
(注3)　学生部主催で行なった戸山学生会館開館の?落としイベント。大学側が11月に当該イベントを実施することを2001年初頭に決め、事実上2001年の早稲田祭中止継続は早期に決定。学生部主催なるも早稲田の比較的大きなサークル（放研、アナ研、UBC、全早連等）に声を掛け運営団体を共同で設置。なお学生側代表（企画プロデュース会議副議長）は88代渉外幹事、89代副幹事長の関さん。<br />
(注4)　早稲田祭を11月に控え、早い段階で1年生にイベントの面白さを実感してもらおうと6月に実施。この年以降に92代までは年2回イベントが行われることに。なお協賛はTOEICとリクルートに協力をしてもらった。<br />（注5）中止前の早稲田祭は学生部から補助金があり早稲田祭実行委員が主催だったが、自主財源・1年ごとの単年組織として復活した。中止前は第○回早稲田祭となっていたが再開後は早稲田祭○○といったように歴史は完全に断絶。
</p>
<p class="memo">
インタビューアー　百周年記念事業委員会副委員長　佐藤芳美　
2007年7月・新宿のカフェにて</p>]]>
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