
このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。
今回は馬場啓一さん(昭和46年卒)にインタビューをさせていただきました。馬場さんは、広告研究会在籍中に幹事長、連盟幹事をされていました。卒業後、日本天然色映画にて広告制作のお仕事をなさり、現在は流通経済大学教授でいらっしゃいます。作家・エッセイストとしても数多くの作品を執筆され、多方面でご活躍されています。
●過渡期を迎えたサークル
— こんにちは。早速ですが、当時の活動について教えてください。
馬場さん:研究するテーマごとにAチーム、Bチーム、Cチームと分かれて活動していたね。当時の会員数は1~4年で100人くらいだったよ。それで実際の活動に参加していたのは60人くらいで、各チーム20名ずつ、週1くらいで集まっていたかな。
—サークルとして目指したものや目標というのはどのようなものだったのですか。
馬場さん:対外活動をしっかりやって、世の中に認めてもらうという所を目標にしたな。私が幹事長のときに、ちょうど電通の学生広告論文賞が始まった年で、団体部門で優勝したね。その次の代も早稲田の広告研究会が優勝したのかな。当時は向かうところ敵なしって感じだったね。
— やはり早稲田のサークルの中でも真面目なサークルだったのですね。
馬場さん:そうだね。サークルの顧問であった小林太三朗先生が当時の日本の広告学の権威ということもあって、他の大学の広告研究会と比べてみてもアカデミックな活動をしていたんじゃないかな。僕が広告研究会に入る前に、2つ年上の先輩達の代がキャンプストアを廃止したらしいんだ。それまでは早稲田の広告研究会もキャンプストアをやっていたんだよ。だけど、その先輩達は、当時「遊び系」といわれていたサークルから、「研究系」という真面目なサークルへと、広告研究会の体質を変えたんだ。それで、大学に入って遊びたい盛りのサークル員が減ったんだよね。そんな時期だったから、僕が幹事長の時に「研究ひとすじ命をかけて行くぞ広告研究会」っていうキャッチコピーを考えたんだ。
— サークルにとっての過渡期だったわけですね。では研究内容とはどういったものだったのですか。
馬場さん:人がテレビを見る時間は何時間で、その中でCMの放送枠がこのくらいあって、若い人はどのくらい見ていて、年齢によってどう違うか、とかのデータを集めていたんじゃないかな。広告学なんていうのが商学部の中でも確立されたか、されないかぐらいのときだからね。今にして思えば結局は孫引きで書き写すだけだったんだけど、そんなようなことを研究と称してやっていたのかな。広告自体がなかなか計量化できないものだから仕方がないところでもあるんだけどね。
●型破りな幹事長
— 幹事長をされていたとお伺いしましたが、どのような経緯だったんですか。
馬場さん:僕は中学・高校時代と歌を歌っていてね、1年生の時は早稲田のグリークラブにも在籍していたんだ。だから1年生のときは広告研究会にあまり行ってなくて、反主流派みたいな感じだったね。2年生になってからは広告研究会で連盟幹事をやってみて、このサークルおもしろいなって思い始めたんだ。それがきっかけで幹事長になろうと思ったね。2年の終わりに選挙があったんだけど、対立候補との一騎打ちだったんだよ。
—幹事長選挙が決選投票だったわけですね。
馬場さん:そうなんだよ。その選挙は50対50と票が割れてね、翌週に再選挙を行ったんだ。僕は広告研究会の中でも反主流派だったわけだから、1~3年生からの支持はあんまりなかったんじゃないかな。それでも2つ上の、当時の4年生が僕のことを買ってくれていてね。それで結局、再選挙も接戦で1票差とかで僕が幹事長になったんだ。
— それでは、馬場さんが幹事長をされていたときの印象深い出来事や活動について教えてください。
馬場さん:広告研究会の正式な活動として認められなかったんだけど、キャンプストアかな。会員を引き止める意味もあって、TBSラジオと組んでキャンプストアを作ったんだ。さっきも言ったけど、2年前の先輩がキャンプストアを廃止してしまったから、サークルの方針として行わないことになっていたんだけど、いい機会にめぐり合わせたんだよね。
—どのようにして実行できたのですか。
馬場さん:顧問の小林先生のもとに、江ノ島で大学生のアルバイトが必要だという話が、TBSラジオから来たんだ。それで小林先生が僕に紹介してくれて、活動としてではなく「アルバイト」として行ったんだよ。それまでのキャンプストアはボランティアで行っていたんだけど、それだとサークルの活動になるわけだから、あくまで「アルバイト」としてね。これには、当初は反対していた抵抗勢力のメンバーもみんな集まってきたよ。
— 夏の江ノ島だと忙しかったのではないですか。
馬場さん:当時、江ノ島は水が汚いとかでお客がいなかったんだよ。だから暇だったね。メンバーが10人弱で、常時在住で約1ヶ月近く江ノ島の海の家にいたね。その期間ずっと一緒に寝起きを共にするわけだから、やっぱりそこでの仲間意識は生まれたのが良かったかな。宿では、アポロが月面着陸するのをテレビで見て、みんなで興奮したのを覚えているよ。
●今と変わらぬ広研行事
— 合宿や飲み会などの雰囲気についてお聞かせください。
馬場さん:それはあまり変わらないんじゃない?今の大学生と一緒に活動をやっているわけじゃないから分からないけど、それは今と変わらないはず。学生はいつの時代も同じだと思うよ。楽しいことをとことん楽しんでいたよ。
— よく飲みにいったりしていたんですか。
馬場さん:高田馬場に一軒、広研がひいきにしている飲み屋ができてね。一時期みんなでよく行っていたんだけど、僕達が行かなくなったら急に潰れちゃったよ。そのくらい、毎日広研のたまり場になっていたね。「花鳥」っていうお店だったかな。部室には人がいなくても、その飲み屋にはほぼ毎日誰かしらいたよ。
— 合宿ではどんなことをしていましたか。
馬場さん:年に一度だけ夏に行ってたね。チームの結束はあって、全体の中でもうまく機能していたんだ。だから今みたいにチームごとの合宿というのはなくて、夏の合宿は広研みんなで行ったな。それと幹事だけの合宿っていうのもあったよ。選挙を終えて幹事がみんな出揃って、テスト明けの2月とか3月に早稲田の合宿所とか、冬の軽井沢でその年の指導方針みたいなのを話し合う合宿だったな。
— 学生時代を一緒に過ごした方々とは今でも交流があるのですか。
馬場さん:そうだね。僕の場合は二つ年上の先輩にかわいがってもらっていたから、今でもその先輩に直接会いに行ったりもするしね。去年も時間があったから奈良まで遊びに行ったりしたよ。今になって思うと、彼らから与えられた影響は大きいものだったなと思うよ。
— 最後になりますが、百周年を迎える広告研究会にメッセージをお願いします。
馬場さん:僕は広告研究会在籍中に先輩からいろんなものをもらったよ。卒業して社会人になってからもそうだったし。もらってばかりじゃダメなんだよな。「俺は良くして貰ったから、良くしてあげたい」っていう想いがないとね。百年近くも続いてるサークルなんだから、そういった繋がりでこそ成り立っているんじゃないかな。だからサークル内で先輩、後輩の関係も大事だけど、OBも現役の面倒をもっと見てあげられたらいいなと思う。それに同窓であることの結びつきって大事だと思うから、毎年OB会は楽しみにしているよ。僕は卒業してから早稲田って聞くと、心のどこかで「ビビッ」とくるものがあるんだ。いま自分の所属する大学やサークルを存分に楽しんで、卒業してOBになった時に自分の母校、サークルを愛せたら素晴らしいと思うよ。
— 本日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。
インタビューアー 商学部3年 鎌野洋行 2008年1月千葉県松戸市 流通経済大学にて
