このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。
第5回目は1986年ご卒業の浅利星司さん、楠亮さん、志太正次郎さん、中井川功さん、西垣雅代さん、根本香子さん、能勢理子さん、松丸隆治さんにお集まりいただいて、座談会形式でお話をお伺いしました。その中でも、一番印象に残っている活動についてのお話を抜粋して掲載させていただきます。
— よろしくお願いします。当時の活動の中で一番印象に残っている活動はなんですか。
西垣さん:チーム活動かな。そもそも当時の広告研究会の中でも、中井川くんをチーフとして始めた私たちSPチームは相当異端だったかもしれないね。
松丸さん:荻窪の銭湯「コミュニティ銭湯・荻野湯」を会場に7日間行なったSONYの生活防水ウォークマンのSPイベントは、今でもとても記憶に焼きついている!
志太さん:SPイベントのネタ探しをしているとき、当時ビジュアルアーティストの作品を発表する場として、東京オペレーションセンターっていうプロダクションが発行していた「STUFF」という雑誌を中井川と能勢が見つけてきて、その雑誌の編集長にみんなで会いに行ったのが発端だったんだよな。
能勢さん:そう、ちょうど編集長もアーティストの実際の作品を発表する場を探している時で、私たちのイベントの企画に快く乗ってくれたんだよ。当時は芸大の院生だった日比野克彦さんが、パルコのグラフィックアート展の第一回目のグランプリを受賞して、学生アーティストが注目され始めていた頃。「STUFF」では、そんな芸大の学生や若手アーティストの作品を誌面で数多く紹介していたの。
松丸さん:アートとウォークマン、それを銭湯と結びつけるなんて、今考えてもなかなか思いつかない発想だったな。
中井川さん:会場となった荻野湯のご主人も乗りが良くて、僕らの無理難題をよく受けとめてくれたよね。銭湯の壁面といえば「富士山」の絵なんだけど、そこに宝島などの当時のサブカルを代表するイラストレーター&漫画家で活躍していたアーティストの奥平イラさんに、思いっきりポップな巨象の絵を描いてもらった。それまでの銭湯のイメージが、すっかり変わってしまい、それは、それは、感動的でした(笑)。
楠さん:肝心のSONY生活防水ウォークマンは、お客さんにサンプリングとして番台からレンタルする仕組みだった。お客さんはお風呂に入りながらウォークマンで音楽を楽しんでもらえるという訳。また、脱衣場や銭湯の二階のコミュニティスペースを使って、ウォークマンをテーマに「STUFF」のアーティストの作品展を開催したりして、集客ねらいのイベントを連日展開したよね。
— 多くの方の協力があったわけですね。実際に集客はどうだったんですか。
浅利さん:スポンサーをしていただいた、SONYの先輩には申し訳なかったけど、今にして思えば、広告のSPイベントとしてはダメダメだった。
根本さん:それでもパブリシティ効果を発揮できて、「写楽」、「朝日グラフ」なんていう今はなき一流誌や、ラジオの取材も受けたし、朝日新聞の本紙のコラムにも載ったんだよね。もしこれが、コンテンポラリーアートの展覧会だったなら、歴史的なイベントだったかもね(笑)。
西垣さん:参加してくれたアーティストたちの中には、巨匠と呼ばれるようになった方もいらっしゃるしね。イベントの打ち上げで彼らが、スタッフ一人ひとりの似顔絵をTシャツに描いてくれたんだけど、今でも貴重な宝物であったりするの。
中井川さん:いずれにしろ、あのような破天荒なイベントが展開できたのも、理解ある広研の先輩たちがいたおかげかな。学生のつたない発想に、少しでも企業として可能性を見出してくれたわけだからね。これからも広研には変に小さくならず、大胆な活動を続けていって欲しいと思います。
— ありがとうございます。頑張ります。本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビューアー 百周年記念事業委員会 和田広大 2007年9月・銀座にて
