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復活前最後の早稲田祭と早稲田祭がなくなった後の広告研究会

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このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第4回目は小林哲男さん(98年卒)です。小林さんは、85代副幹事長、84代庶務幹事をされていました。卒業後、アップルコンピュータ株式会社にて、オンラインストア関連のお仕事をなさり、現在は某検索サービス企業にてEC、ネット通販業界への広告提案をなさっています。
復活前の最後の早稲田祭を経験された小林さんに、当時の広告研究会の活動などについてお聞きしたいと思います。



●復活前最後の早稲田祭

— こんにちは。小林さんの代は復活前の早稲田祭を楽しんだ最後の代とお聞きしましたが、当時の早稲田祭での活動を教えてください。

小林さん:そう。早稲田祭は私が3年生の時に無くなったから、私達の代はぎりぎり楽しんだ世代だね。それで、早稲田祭では10号館前でステージイベントをしていたよ。日清どんべいやいすゞの4WDの車に協賛に付いてもらって、セールスプロモーションのイベントをしてたね。あと、ニッカ・ウィスキーの広告とかを作って展示会をしていたな。

—現在は会員全員で早稲田祭に取り組んでいるのですが、当時も現在のように会員全員で早稲田祭に取り組んでいたのですか。

小林さん:そんなことはないよ。早稲田祭でステージイベントをやる理論企画系のチームと、ラジオやポスター制作をして教室で広告展を開催する制作系のチームがあったんだ。私は、制作系のチームに所属していたんだけど、イベントもやりたくて、企画系のプロジェクトに入り浸って手伝いをしていたんだけどね。当時は早稲田祭しかイベントはやっていなかったから企画系のチームは、7月くらいから準備をしていて、学祭が終わったら燃え尽きて灰になるって感じだったよ(笑)。

— そんな燃え尽きて灰になってしまうほどの早稲田祭の打ち上げはどんな様子だったんですか。

小林さん:2年の早稲田祭の打ち上げは、一番印象に残っているよ。早稲田祭が終わって、大変だったこと全てから解放されて、みんなが心優しくなれるんだよね。お互いを褒め称えながらほぼ全員がビール瓶や一升瓶を持って、飲み会の間終始一気飲みをしているっていう状態が最高だったね。

— では、一番楽しかった活動はやっぱり早稲田祭ですか。

小林さん:そうだね。でも、2年生の時の早稲田祭じゃなくて、1年生のときの早稲田祭かな。面倒くさいことや大変なことは全て先輩がやってくれて、自分の好きな事だけに打ち込める環境がよかったよ。私は立て看を塗るのが大好きだったから、凄くこだわって作っていたよ。看板とかステージを完璧に作らなきゃ気がすまなくて、1ミリ単位まで測って作っていたんだよ(笑)。広告研究会の塗り看は芸術の域に達していると思うね。

●しらけムードになったサークル

— 話は変わりますが、現役時代一番苦労したことはなんですか。

小林さん:サークル内での人間関係かな。私達の代とその下の代なんかは早稲田祭がなくなってしまって、サークル全体がどんどんしらけムードになっていった時期なんだ。 そして、上下関係が厳しかったせいか「何で先輩に怒られて、コキ使われながら労働を強いられなきゃいけないんだ!」って会員が広告研究会からどんどん離れていったんだよね。これは世間一般でも同じで、ちょっと前の時代まではサークルに入っていない人はほとんどいなくて、サークルに入っていないと「学生時代を楽しんでいないかわいそうな人」くらいの見方をされていたんだ。だけど、私達くらいの世代からサークルに依存せずに、資格を取ったり学生ビジネスを立ち上げたりする人たちが増えてきて、サークルに対してのロイヤリティーがなくなってきた時代だったんだよね。

—世間でも、広告研究会でも、サークルとの関わり方が変化している時期に幹事をされていたんですね。

小林さん:そう。でも、そんな中で、私は自分の尊敬していた先輩のカルチャーをそのまま引き継いで、もっとサークルに力を注げる広告研究会でありたいと思ったんだよね。でも、それに対する反発が強かったから大変だったんだ。新幹事会合宿では、1年目は「この終わりかけたサークルをどう立て直したらいいか」という熱い議論がなされていたんだけど、2年目は「どうでもいいじゃん」という雰囲気の中、残った少ないメンバーで何とか運営することしかできなかったというのを覚えているよ。

— それで、その後はどうなったのですか。

小林さん:結局紆余曲折を経て、私を慕ってくれる後輩が残ってくれて、その思いは引き継ぐことができたんだよね。でも、自分がサークルのカルチャーを引き継いだと思っていても、10年経つと全然違うサークルになっているからびっくりするよね。(笑)

●85代当時の広研行事

— 当時の行事はどんなものがあったんですか。

小林さん:庶務幹事をやっていたから、行事はよく覚えているよ。4月から順を追って話していくと、新歓コンパは栄通りの「双葉」「瑠」やBig Box方面の「赤とんぼ」「俺んち」が定番かな。今はもうほとんど存在しない店ばかりだけど。新歓合宿は河口湖か山中湖に行くのが定番という感じで、新歓合宿まではどんなに傍若無人な1年生がいても歓迎すべし、という決まりがあったんだ。そして新歓合宿で初めて説教してもいい、というルールだったんだよね。私も当時の一年生に、新歓合宿までにはかなり怒り心頭だったんだけど我慢していて、当日説教したときはもう何を言ってるのか自分でも訳わかんなくなってたから、1年生は逆にポカーンとしてたのを覚えているよ。早慶戦前日の男飲みでは、女の子への告白の優先権を争って飲み対決をしていたよ。夏合宿は千葉の外房の茂原とか白子あたり。冬合宿は、早稲田祭が終わって人がどんどんいなくなる時期だから、長野にゆっくり温泉にでも入りに行こうって流れだったね。

— 行事の場所までこんなにスラスラ言えるなんて、さすが元庶務幹事ですね。

小林さん:そうだね。合宿とか行事関連のセッティングは全てやっていたからね。でも、庶務幹事最後の日に、みんなから「あんた庶務で賞」をもらったよ。庶務なのにお酒好きでかまわず飲んで潰れてたから、「あんた、庶務でしょう!!」って意味で。(笑)庶務幹事は二人いて、もう一人の庶務幹事が女の子で肝っ玉母さんみたいなしっかりした子だったから、結構任せていたんだよ。盛り上げ役とケア役で男女の庶務ペアはベストコンビだったと思うよ。

— 当時の経験で今の生活につながっているものはありますか。

小林さん:活動とは関係ないんだけど、広研バイト(注1)で日雇いのアルバイトをたくさんやったことが、今でもすごい為になっているよ。大学時代に色んな仕事を経験できたから、今どこの業界にいってもその業界知識をもって話せるんだよ。あっちこっちのバイトで色んな現場を知ったことで、世の中の仕組みを大学時代ですべて学べていた気がするよ。この前なんて、クライアントの建設会社の人に建築業界出身者だと間違われたくらい。建築現場に行こうが、マスコミに行こうが、どこの業界にいっても、その業界出身者だと思われるくらい基礎知識をもって普通に話ができるんだよね。その時に、大学時代の経験が役立っているなと思うよ(笑)あと、人脈に困ったことはないね。普段は特に話さないけど、どこに行っても広告研究会のOBがいるから、面白いよ。

●100周年を迎えるサークルへ向けて

— 広告研究会は100周年を迎えるわけですが、広告研究会にどんな思いをもっていますか。

小林さん:広告研究会は時代に合わせて、変わっていく存在だと思う。変化の激しい世の中で、その時代に合わせてうまく変化してきたサークルだよね。だからこそ100年続いてこられたのだと思うし、これからも時代に合わせて現役会員が好きな事をするサークルであっていいと思うよ。個人的には、「広告研究会」という存在は自分のアイデンティティーの一つだし、広告研究会でやったイベントで人生が変わったと思っているよ。

— 「イベントで人生が変わった」というのはどういうことですか。

小林さん:2年生の時にアップルの協賛でイベントをやった時に、アップルが広研にパソコンを貸してくれたんだよね。それまでパソコンになんて全然興味なかったんだけど、アップルのマックがかっこよかったからパソコンに興味を持ったんだよね。それからアップルに対してこんないいパソコンをつくって、こんなクリエイティブな仕事が出来る会社だっていいイメージをもって、ここで働きたいと思ったんだよね。結局、学祭で協賛をしてくれた企業が好きになって就職してしまったってわけ。何が縁で人生つながるか分からないね。協賛を取ってきてくれた渉外幹事には今でも感謝しているし、今でも頭があがらないよ。(笑)

— これからの広告研究会へ一言お願いします。

小林さん:もっとプレゼンスを発揮してほしいね。こんなにネットが普及している中で、今、早稲田大学広告研究会の存在は埋没していると思うんだよね。広研には世の中をもっと動かす存在になってほしい。学生だからできないことははっきりとしていると思うんだけど、学生でしかできないことはあるばずだから「ここまで学生やっちゃったの?」ってことを、もっと色々実験してやってほしいと思う。広告研究会は時代に合わせて自由にやりたいことをやれる存在なんだから、そのなかで最大限の公約数を求めてみんなが熱をもって最大限動けばいいと思うんだよ。後輩にはがんばってほしいです。応援しています!

— 小林さん、ありがとうございました。


(注1)  広告研究会では昔から企業と関わる活動が多いため、そのつながりで企業からお願いを受けることが多いアルバイト。

インタビューアー 百周年記念事業委員会副委員長 佐藤芳美  2007年9月・早稲田の居酒屋「志乃ぶ」にて(小林さんの学生時代の思い出の場所)