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約40年前の活動について ~キャンプストアやチーム活動~ (昭和33年卒・篠田さん)

このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。

第二回目は篠田賢治さん(昭和33年卒)です。篠田さんは昭和29年~33年まで広告研究会に在籍し、当時は連盟幹事(注1)やメディアグループで活躍していました。現在は昭和33年~40年卒業までのOB、OGの皆様の同窓会である早広会(そうこうかい)という会の幹事をなさっています。

それでは今回は篠田さんに当時のチーム活動やキャンプストア(海の家)のお話、活動の様子などを聞いていきたいと思います。

●約40年前のチーム活動について

— こんにちは、今回は約40年前の広告研究会の活動を中心にお話を聞いていきたいと思います。現在はチーム活動を活動の柱としていて広告戦略、映像媒体、グラフィック媒体、WEB媒体の4チームがあります。篠田さんが広告研究会に在籍されていたときはどのようなチームがありましたか。

篠田さん:当時はメディアグループ、マーケティンググループ、商業デザイングループ、コピーグループの4チームがあったかな。みんなそれぞれに所属しててなんか活動をやろうよといっていたんだけど、実際に形の上で出てくる活動をやっていたのは商業デザインとマーケティンググループぐらいで後はなんとなくみんな遊んでたよ。あと、商業デザインやってるのは広研の他にも商業美術サークルって言うのがあってそっちのほうがさかんだったかな。

-各チームはどのような活動をされていましたか。

篠田さん:商業デザインは早稲田祭のパンフレットを作ったり、キャンプストアのメニューを作ったりそういうもののレイアウトデザインをしていたよ。私はメディアグループで、商業放送が始まって10年たったかたってない時代だったからテレビやラジオの今後の勉強をしていたよ。マーケティンググループはビールのイメージ調査などをしていて、コピーグループはキャッチフレーズコピーをつくっていたよ。 でも、今みたいに朝日広告賞のようなそういうコンクールなどはなかったから、作品として表現するところまではいってなかったかな。

-マーケティンググループやメディアグループの研究成果はどのように報告してたのですか。

篠田さん:ビールのイメージ調査みたいに東広連(注2)が出している機関紙にのせて報告しているものもあるけど、特に早稲田の広告研究会として出していたものはないよ。ただ研究内容をサークルでまとめたものは、私は持っていないけどあるかもね。

-グループのチーフはどうやって決めていたのですか。今は新幹事会合宿というのが2月に2泊3日であって、チームのチーフになりたい人がプレゼンをして全員の承認を得てチームを立ち上げることが出来る制度があるのですが、当時のチームを作るときにこのような制度はあったのですか。

篠田さん:ないないない。当時はなかったよ。当時のチーフは3年生の中で2年生を指名して決めていたよ。幹事長も選挙で決めたりはしていなかったよ。

●キャンプストア

-チーム活動以外に当時の活動の中心は何だったのですか。

篠田さん:活動の中心は早稲田祭と夏に行なうキャンプストアが中心だったかな。キャンプストアはこれが楽しみで3年間やっていた人もいたぐらい楽しい活動だったよ。あとは、早稲田祭は一年の活動の集大成で行なっていて、それが終わったら活動終了で合宿や旅行にみんなで行っていたよ。

-篠田さんが広告研究会で一番強烈だった思い出は何ですか。

篠田さん:それは2年生のときのキャンプストアかな。1年生は新人ではっきりいってこきつかわれる、2年生は中心になるけど責任はない、3年生は店長、会計とあって責任が重かった。だから2年生のときが一番気楽で楽しかったよ。2年生の時は一番楽しかったのは気が楽っていうのもあるけど、毎晩砂浜のほうで営業の一環でキャンプファイヤーをして、町の若い高校生や泊りがけで来ている女子大生と一緒にフォークダンスを毎日やっていたことがあったからかな。楽しかったけど、毎年、砂浜の葦簀張の海の家と、コンクリートの岩場に2つお店を建てていたから大変だったな。

-キャンプストアは大学生がやっているということもあって、学生のお客さんが多かったのですか。

篠田さん:普通のお客さんも来るけどやっぱり学生が多かったね。お客さんは安いと思ってくるのだけれど、キャンプストアだけ安くしちゃうと周りの店に怒られちゃうから実際は他のお店と同じような値段だったよ。あと、学生がやっているって興味本位でくるお客さんなどはいたよ。後、3年の時に、立教女学院の女の子たちがひと夏団体で近くの別荘にいて毎晩のようにお客さんできていたのをよく覚えているよ。

●当時の活動の様子

-ではつづいて、当時の広告研究会の様子を具体的に聞いていきたいと思います。まず始めに、部室に過去の資料として早稲田広告が残っているのですが、篠田さんの時代には早稲田広告はありましたか。

篠田さん:うーん、なかったね。でもWAS(ヴァス)ニュースはあったよ。今のWAS通信みたいなもので、これを年1~2回出していたと思うよ。でも、今みたいに立派なのではなくて、藁半紙に謄写版刷りで作っていたよ。謄写版刷りっていうのは、蝋を塗った紙の上に鉄筆というので文字を書いて蝋をけずって、それを版画のようにインクをのせて刷っていくと蝋をはがしたところだけ文字になって印刷されるものだよ。だから活字ではなくて手書きの印刷。活版印刷はお金がかかったからね。こうやって作ったWASニュースに早稲田祭参加の作品などをまとめて会員や先輩にくばっていたと思うよ。でも200~300枚くらい作っちゃうと蝋がとけちゃって作れなくなっちゃうから、そんなに沢山は作ってなかったかな。

-続いて広告研究会についてお聞きしたいのですが、現在は会員数が約300人いるのですが、当時の会員はどのくらいいたのですか。

篠田さん:全部では何人いたかは覚えてないけど、新入生は40~50人はいたのじゃないかな。でも、1~2年目で1/3ぐらいやめちゃっていたね。覚えてないというのも、当時の部室はドイツ文学研究会と共同利用で細長い三畳間だったから、部室の中では集まって話すのは無理だし、当時は教室も借りられなかったから学生会館の1階か2階のスペースで10~20人集まって話すのが関の山だったよ。だから会員全員が集まるのは無理で何人いたかっていうのはわかんなかったな。

-では最後に、篠田さんの広告研究会についての思いを聞かせていただきたいのですが、広告研究会に入っていて一番よかったことはなんですか。

篠田さん:早広会みたいに今でも会う仲間ができたことかな。早広会は、今は亡くなってしまった久米さんという方が自分の2年先輩と後輩に声をかけて月に一回でも酒でも飲んで話せる場をつくろうやといって作ったんだよ。一番初めは久米さんの会社の会議室を開放して集まっていたんだけど、月に一回は大変だってことで、年二回、暑気払いと忘年会であつまろうってことになって。それから14~15年続いているよ。 今度、早広会に来て百周年と今の活動の紹介をしてよ。

-こちらこそよろしくお願いします。本日は、ありがとうございました。

(注1)  連盟幹事は東広連(注2参照)への出席などのように他大学広告研究会との担当窓口の幹事。
(注2) 東広連は正式名称「東京学生広告研究団体連盟」と言い、昭和30年に「1つの大学だけではできない、もっと大規模で面白い活動をしたい。」という意思のもと創立された東京近郊の大学の広告研究会の連盟団体です。

インタビューアー 百周年記念事業委員会委員長 林範和  2007年7月・学生会館にて