
このインタビューは2013年の広告研究会百周年を迎えるにあたって当会の過去の歴史をふりかえり編集すると共に、過去のお話しを聞かせていただき今後の当会の活動の参考にさせていただきたいと考えております。
第一回目は熱田卓也さん(04年卒)です。熱田さんは、90代の会計幹事、89代の庶務幹事をされていました。熱田さんの代は、現役時代に、早稲田祭復活前と復活後を経験するという貴重な体験をされている代です。
それでは、今回は熱田さんに早稲田祭復活前、復活後の広告研究会のイベントのお話と活動の様子などをお聞きしたいと思います。
●早稲田祭復活前の広告研究会のイベント
— こんにちは。今回は熱田さんが、早稲田祭の復活前、そして復活後を経験されている代ということで、当時の広告研究会のイベント活動の変遷をお伺いしたいと思います。早稲田祭復活前はどんな活動をされていたんですか。
熱田さん:ちょうどウチの代が、3年の時に早稲田祭が復活したんだ。だから、2年の時までは、早稲田祭がなかったんだけど、毎年イベントはやっていたよ。1年の時は、早稲田祭したくスタッフ(注1)という早稲田祭の復活を望む団体主催の「わせだまつり」という現在の早稲田祭の前身となるお祭りがあったよ。そこで、広告研究会は「Waseyan」というミスコンテストのようなイベントや、「Dive to Advertising」というクリエイターを呼んでの講演会及び、広告コンクールのようなものを主催していたよ。
—2年生の時も「わせだまつり」のようなお祭りはあったんですか。
熱田さん:あったよ。2年の時は、ちょうど、新しい学生会館が建てられた時期で、学生部の主催で新学生会館の?落としイベントとして、早稲田キャンパスと戸山キャンパスを使って、「Waseda Expo」というお祭りみたいなものをやっていたね。
— 「Waseda Expo」で広告研究会はどんなイベントをやっていたんですか。
熱田さん:「Waseda Expo」では、10号館前のステージにステージカーを出して「YOU THE ROCK」 のライブと「BUT」っていう映像コンテストをやっていたよ。イベントは毎年、やる前とかは広告の実践という大義名分はあるんだけど、実際やっている最中とかはみんな意識してなかったんじゃないかな。(笑)でも、小さい額だけど、広告研究会だし、協賛は取ろうとしていたよ。
— そして、次の年に早稲田祭が復活したんですね。
熱田さん:そう、早稲田祭が復活したのは3年の会計幹事の時で、私は早稲田祭運営スタッフもやっていたんだ。前年の「Waseda Expo」からの流れで、早稲田の比較的大きなサークルのコアメンバーが中心として早稲田祭の運営団体を発足したんだ。でも、早稲田祭復活初年度と、次の年は、運営スタッフ自体に歴史がなく、人材がいなかったから、協力団体から運営スタッフをださなきゃいけないルールだったんだよ。それで私が、広告研究会からの派遣として運営スタッフに所属していたってわけ。でも2004年からは、運営スタッフ自体に後継者が育ったから、その制度はもうなくなったんだけどね。
— 早稲田祭の復活には色んな人の協力や想いがあったんですね。
熱田さん:そう。早稲田祭の撤収も全て終わった後の打ち上げは今でも印象に残っているよ。早稲田祭が出来た喜びと達成感で、その時飲んだお酒は、今まで生きてきた中で一番おいしいお酒だったよ。
●変わらない広研行事
— 早稲田祭でのイベント以外では、どんな活動をなさってたんですか。
熱田さん:チーム活動だね。媒体ごとにチームが分かれていて、ラジオ、印刷媒体、映像、心理の4つだったかな。みんなそれぞれ頑張って活動していたよ。あと、私は、庶務幹事だったからかもしれないけど、特に行事ごとに力を入れていたよ。
—どのような行事があったのですか。
熱田さん:今とあんまり変わらないと思うよ。夏合宿も早慶戦も、百ハイ(注2)参加もしていたよ。今もやっていると思うけど、早慶戦の前日からの神宮球場の前で並んで一番を獲得することと、百ハイの受申し込み日の何日も前から並んで、ゼッケン1番を獲得することも庶務幹事のミッションだったんだ。勿論、両方とも一番を獲得したよ。
— 昔から一番が好きなんですね。(笑)
熱田さん:そうそう。(笑)競争がすきなのかもしれないね。早慶戦の前日の男飲みでは、好きな女の子をめぐって早飲みで次の日のお弁当争いをしたりしていたしね。あと、新歓合宿では、2年生のいい男を投票で決める2男レースをやったりしていたよ。
— 行事の様子は現在とほとんど変わらないですね。
熱田さん:今と違う行事といえば、新しい学生会館への部室の引越しかな。ちょうど、自分が庶務の時に部室の引越しをしなければいけなくて、庶務幹事=引越幹事という変な図式を作られたんだよ。「広研一週間」という行事週間があって、引越し(8月6~7日)+夏合宿(8月8日~10日)+花火大会並び(8月10日)+花火大会当日(8月11日)というスケジュールで大忙しだったよ。
●自ら「変える」原動力になることを学ぶことができたサークル
— 広告研究会での経験が、今の生活につながっていることがあれば教えてください。
熱田さん:自分が「当事者」としての意識を持って自ら「変える」原動力になることが、困難な状況を打破するのに一番大事なことなんだということを学べたことかな。広告研究会の活動を3年間やっていて思ったことなんだけど、サークルとかって必ず温度差があるんだよね。大きなサークルだから人によってモチベーションに大きな差があるし、何かにつけて批判的な意見を言う人間も多々いるんだよ。そんな状況の中で、外から意見を述べるだけでは何も変わらないということを感じたんだよね。だからこそ、自分が「当事者」としての意識を持って自ら「変える」原動力になろうという姿勢が身についたんだと思う。それが今の僕の信念になっているし、今の仕事に対する姿勢のもとにもなっているよ。
— では、最後に、今後の広告研究会へのメッセージがあれば、お願いします。
熱田さん:大学時代の4年間はこれからの人生の原点になるものだと思います。大学時代に「これをやった」と胸を誇れるようないい経験ができるサークルであってほしいです。
— 熱田さん、ありがとうございました。
【参考資料】●広告研究会各代の早稲田祭への取り組みについて
84代(1996年)…大学主催の最後の早稲田祭
85代(1997年)…早稲田祭が中止
86代(1998年)…下田で夏にビーチバレー大会運営
87代 (1999年)…代々木付近でイベントチーム主体のPower Of College主催
88代(2000年)…「わせだまつり」(注1)にて「Waseyan」、「Dive to Advertising」主催
89代(2001年)…「Waseda Expo」(注3)にて「YOU THE ROCK」のライブと映像コンテスト「BUT」
90代(2002年)…天職を見つけよう(注4)、早稲田祭2002(注5)
(注1) 早稲田祭が中止になってから学生部に対して早稲田祭復活を働きかけていた団体。2000年設立。初代代表が広研86、87代幹事長の池嶋さん。なお早稲田祭2002が行われることが決定し存在意義が無くなったことから同年発展的解消。
(注2) 早稲田精神高揚会主催の「本庄~早稲田100キロハイク」の略。本庄~早稲田まで2日かけて歩くイベント。1962年より続いている行事で、現在広告研究会では100キロハイク参加が恒例行事となっている。
(注3) 学生部主催で行なった戸山学生会館開館の?落としイベント。大学側が11月に当該イベントを実施することを2001年初頭に決め、事実上2001年の早稲田祭中止継続は早期に決定。学生部主催なるも早稲田の比較的大きなサークル(放研、アナ研、UBC、全早連等)に声を掛け運営団体を共同で設置。なお学生側代表(企画プロデュース会議副議長)は88代渉外幹事、89代副幹事長の関さん。
(注4) 早稲田祭を11月に控え、早い段階で1年生にイベントの面白さを実感してもらおうと6月に実施。この年以降に92代までは年2回イベントが行われることに。なお協賛はTOEICとリクルートに協力をしてもらった。
(注5)中止前の早稲田祭は学生部から補助金があり早稲田祭実行委員が主催だったが、自主財源・1年ごとの単年組織として復活した。中止前は第○回早稲田祭となっていたが再開後は早稲田祭○○といったように歴史は完全に断絶。
インタビューアー 百周年記念事業委員会副委員長 佐藤芳美 2007年7月・新宿のカフェにて
